全財産を弁護士に遺贈するとの自筆証書遺言が無効とされた事例
事案の要点
- 平成15年12月11日本件自筆証書遺言が作成された。
- 本件自筆証書遺言は、預貯金だけでも約3億円にのぼる遺言者の全財産を遺言者が経営していた会社の顧問弁護士に遺贈するとの内容である。
- 遺言者が経営する会社(全株式を遺言者が所有)は、遺言者の親類が片腕となって経営しており、同族的な色彩が強い。
- 遺言者は平成15年11月11日時点の要介護保険認定調査票において、認知症患者の日常生活自立度が「Ⅱb」と記載されており、初期段階の認知症であった。
- 遺言者は本件自筆証書遺言を作成した4ヶ月後の平成16年4月頃、遺言者の会社に長く勤めていた親類の社員を呼び出し、将来の会社経営を任せる旨伝えた
判例のポイント
結論
自筆証書遺言は無効
判断のポイント
本件で裁判所は、遺言者は、初期段階の認知症であり、このような状態の者について、一律に意思能力・遺言能力が否定されるものではないとしました。他方で、本件遺言がもたらす結果が重大であること(数億円の遺産を無償で他人に移転させること)、本件遺言により遺言者が経営していた会社に複雑な影響を生じさせること、遺言者の会社経営に関する希望や生活歴に照らして不自然な事情を指摘し、本件遺言を無効としました。
認知症を患っている方が作成したとされる遺言の有効性が争点になっている場合、まず、遺言者の医療記録や介護記録における認知症の程度に関する評価が重要になります(本件では介護保険要介護認定調査票記載の認知症患者の日常生活自立度を根拠に遺言者の認知症が初期段階と認定されています)。医療記録や介護記録の記載上、遺言者が末期の認知症等で意思能力を明らかに欠くという場合であれば、この時点で遺言無効の可能性が高まりますが、この事案のように、初期段階の認知症である場合は医療記録、介護記録のみでは判断できません。この点について、本判決は次にように判示しています。
『初期認知症の状態の者については、一律に意思能力・遺言能力が否定されるわけではないものと考えられる。遺言がもたらす結果が単純なものである場合(遺言の文面が単純かどうかではない。)、それほどの精神能力までは必要とされないであろうから、そのような遺言との関係では、初期認知症の状態にある者の遺言能力は直ちに否定されないものと思われる。』
上記判示のうち、遺言の文面が単純であるかどうかを遺言能力の判断との関係で消極的評価している点は注意が必要です。遺言無効確認請求訴訟では,遺言能力の有無との関係で遺言の記載内容が複雑か否かについて当事者から主張されることが多くあります。遺言の内容が複雑な場合、遺言者がその内容を理解するのは困難になる方向に働くため、複雑な遺言が遺言能力が否定される方向で働くということは間違いないと思われます。他方、遺言の内容が単純であれば、例えば「全財産を○○に相続させる」との遺言、遺言能力を肯定する方向に働くかと言えば、必ずしもそうではありません。複数の財産や権利関係が複雑な財産を一括して相続させる場合、遺言書の文言は単純かも知れませんが、その内容を構成する財産関係は複雑であり、比較的低い精神能力で足りるとは考え難いからです。本判決は、この点を「(遺言の文面が単純かどうかではない。)」との括弧書きで明らかにしています。
以上を前提に本判決は、次の事情を踏まえ、本件遺言をするには、小学校高学年レベルよりももう少し高い精神能力(本判決は、仮に、「ごく常識的な判断力」としている)が必要であるとしました。
- 『本件遺言は文面こそ単純ではあるが、数億円の財産を無償で他人に移転させるというものであり、本件遺言がもたらす結果が重大であること』
- 『本件遺言をすると、〈1〉呉服業界に知識のない被告が経営を差配する可能性がある、〈2〉被告が丙山と仲違いした場合、経営を良く知る丙山が更迭されてしまう、〈3〉丙山が経営移譲を受けようとしても、贈与税や譲渡代金の負担が発生するため、被告から丙山に株式譲渡が困難となる、〈4〉被告が死亡すれば被告の相続人が訴外会社の株主になる、という様々な事態が予想されること』
そして、本判決は、次の事情を踏まえ、遺言者には、本件遺言当時、ごく常識的な判断力が欠けており、本件遺言は無効であるとしました。
- 遺言者は、本件遺言作成の4ヶ月後、親類の社員に会社の後継者になることを打診していたところ、会社の全株式を被告に遺贈する内容である本件遺言が上記社員を会社の後継者にすることとの関係で不都合であることを認識していたことを窺わせる事情がないこと
- 遺言者が経営する会社は、親類が社員にいるなど同族的色彩が強いにもかかわらず、親類には会社の株はおろか、会社の運転資金となる預金すらも全く遺さず、赤の他人である被告に全財産を遺そうとしたことはいかにも奇異であること
上記A及びBは、本判決の判示の仕方からすると、Aが主要な理由付けになるものと思われます。
本判決は、一概に意思能力を否定し難い初期段階の認知症患者に関し、遺言の結果の重大性及び遺言結果の影響の複雑性を根拠として、相応の精神能力を要求した上で、意思能力を否定したものであり、初期段階の認知症患者が作成した遺言の有効性を判断する際の参考になるものと思われます。
判例紹介
京都地裁平成25年4月11日 判例時報2192号92頁
四 本件遺言書作成(平成一五年一二月一一日)当時の遺言能力
(1)前記のとおり、平成一七年一〇月当時、竹子が認知症の中核的な症状が顕著であり、西陣病院のMRI検査の結果や診断結果からも明らかなとおり、竹子の認知症の症状は、胸の病変に由来するのである。
そして、〈1〉低酸素血症と診断され、平成一四年一月から自宅で介護を受けながら在宅酸素療法を続けていたこと、〈2〉平成一四年一〇月八日のMRI検査でラクナ梗塞が認められること、〈3〉遅くとも平成一四年一二月ころから尿失禁や味覚障害といった認知症の初期症状がみられたこと、〈4〉介護保険の要介護認定のための訪問調査において、痴ほう性老人の日常生活自立度が、平成一四年一一月一一日時点で「Ⅰ」、平成一五年一一月一一日の時点で「Ⅱb」とされていたこと、〈5〉平成一五年一一月一一日時点では、短期記憶もできず、夜間不眠・昼夜逆転があり、ひどい物忘れがあるとされたことを総合すれば、竹子は、本件遺言書作成の当時、既に、低酸素血症又はラクナ梗塞を原因とする血管性認知症あるいはアルツハイマー型認知症を発症しており、初期認知症の段階にあったと認めるのが相当である。
(2)初期認知症の状態の者については、一律に意思能力・遺言能力が否定されるわけではないものと考えられる。遺言がもたらす結果が単純なものである場合(遺言の文面が単純かどうかではない。)、それほどの精神能力までは必要とされないであろうから、そのような遺言との関係では、初期認知症の状態にある者の遺言能力は直ちに否定されないものと思われる。
(3)しかしながら、本件遺言は文面こそ単純ではあるが、数億円の財産を無償で他人に移転させるというものであり、本件遺言がもたらす結果が重大であることからすれば、本件遺言のような遺言を有効に行うためには、ある程度高度の(重大な結果に見合う程度)の精神能力を要するものと解される。
(4)また、本件遺言は文面こそ単純であるが、本件遺言が訴外会社の経営にもたらす影響はかなり複雑である。
本件遺言をすると、〈1〉呉服業界に知識のない被告が経営を差配する可能性がある、〈2〉被告が丙山と仲違いした場合、経営を良く知る丙山が更迭されてしまう、〈3〉丙山が経営移譲を受けようとしても、贈与税や譲渡代金の負担が発生するため、被告から丙山に株式譲渡が困難となる、〈4〉被告が死亡すれば被告の相続人が訴外会社の株主になる、という様々な事態が予想される。
(5)上記(3)及び(4)の事情を考慮するならば、小学校高学年レベルの精神能力がありさえすれば、本件遺言に関する遺言能力が肯定されるとすべきではない。そうでなければ、私的自治の理念に適った行動ができない者の思慮不足な行動を、私的自治の名の下に放置してしまう危険が大きいと思われる。
本件遺言に関する遺言能力は、もう少し高い精神能力―ここでは仮に「ごく常識的な判断力」と表現する―が必要というべきである。
(6)ところで、竹子は、被告に訴外会社の経営を委ねるつもりなどなく、本件遺言書を作成した約四か月後(平成一六年四月)、丙山を呼び出し、将来の訴外会社の経営を任せる旨を伝えている。竹子は、丙山を後継者にする意図を有していたのであり、被告に訴外会社の経営者になって欲しくて本件遺言をしたのではないのである。
丙山を後継者にしようと考えるなら、被告に全資産を遺贈するといった遺言などしないのが当たり前であり、もし、そのような遺言をしていたなら、遺言を変更するか、本件株式だけでも生前に丙山に贈与するかしたはずである。
竹子に「ごく常識的な判断力」さえあれば(正確な法的知識がなくとも)、本件遺言の内容を思い出し、本件株式まで被告に渡してしまうことが不都合ではないかという心配―丙山への株式移転に支障が生じるのでは、あるいは被告が死んだら誰が株主になるのだろうといった程度の心配―が浮かんでくるはずであり、そうすると、竹子は、その心配を、わきまえのある者(被告や戊原税理士)に相談し、問題を解決しようとしたはずである。
(7)ところが、前記第二に認定の事実経過に照らせば、竹子は、丙山を後継者にするには不都合な遺言をしているのに、全く心配をしていない(心配をしたなら、被告や戊原税理士に本件遺言に関する相談をもちかけたはずなのにその形跡が全くうかがえないのである。)。したがって、竹子は、本件遺言をした場合の利害得失を「ごく常識的な判断力」のレベルでさえ、全く理解していなかったものといわなければならない。
(8)さらに、訴外会社は、竹子の親戚である丙山が経営の片腕となっており、同じく竹子の親戚である原告が中心店舗(祇園店)の店長になっていて、同族的色合いが濃い会社であるのに、なぜ、縁のある親戚に対しては、本件株式はおろか、会社経営の基盤となり得る預金さえも全く遺そうとはせず、赤の他人の被告に本件株式を含む全遺産を遺贈しようというのは、竹子の生活歴からすれば、いかにも奇異なことである。
竹子は、死後に入る墓の件で甲田家に縁を感じていたことが明らかであり、四郎や原告のように、長らく親しくしていた親戚に何も財産を遺そうとしなかったというのも、やはり、かなり奇異なことといわざるをえない。
このことは、竹子が、本件遺言がもたらす利害得失を理解する能力が著しく減衰していたことを示す一つの事情となり得ると思われる。
(9)上記(3)ないし(8)の事柄に加え、竹子が、平成一五年一二月当時、既に、低酸素血症又はラクナ梗塞を原因とする血管性認知症又はアルツハイマー型認知症を発症していたことをあわせ考えるならば、本件遺言書作成当時、竹子は、本件遺言がもたらす結果を理解する精神能力に欠けていたものと認めるのが相当である。
したがって、本件遺言書は、平成一五年一二月一一日作成の自筆証書遺言としても無効である。