自書性が認められる自筆証書遺言について意思無能力を理由として無効とした事例
1.事案の要点
(1)請求内容
遺言無効確認請求
(2)相続関係等
- 被相続人(A)
- 相続人:Aの実子及び養子合計4名人
うち原告をX、被告をYとします。
(3)遺言の内容
- 遺言の種類:自筆証書遺言(本件自筆証書遺言)
- 遺言の内容:判決の記載上詳細は明らかではありません。
- 遺言作成日:平成21年2月7日
(4)遺産の内容
詳細は不明ですが、収益不動産が5物件、そのた不動産が5物件、非上場会社株式が遺産に含まれており、評価額は10億円以上に上ると思われます。
2.判例のポイント
(1)結論
自筆証書遺言は無効であるとして、Xの請求を認容しました。
(2)判断のポイント
ア 判断の対象となった事実
本判決は、本件自筆証書遺言作成当時、Aが意思無能力であったかについて判断しました。
イ 本判決の判断枠組み
本判決は、要介護認定申請に関する資料及び成年後見開始審判に関する資料に基づき、本件自筆証書遺言作成当時、Aは意思能力を欠いていたと認定しつつ、この認定に疑義を抱かせるYの主張を排斥することで、本件自筆証書遺言が無効であるとの結論を導きました。
本判決が示した判断枠組みは、①要介護記録及び成年後見開始審判に関する資料を根拠として、特段の事情がない限り意思無能力が推認されるとし、②Yの主張が特段の事情にあたるかにつき個々に検討するものと整理できます。
ウ 要介護認定資料及び成年後見開始審判に関する資料による意思無能力の認定
本判決では、要介護認定資料及び成年後見開始審判における資料を根拠として、本件自筆証書遺言作成当時、Aは意思無能力であったと認定しています。
要介護認定申請の際、要介護度を判断するために、申請者に対する調査が行われこの結果が認定調査票に記録されます。
また、同様の目的で、主治医の診断も行われ、主治医意見書が作成されます。要介護度が一定程度進行すると、本人による財産管理も困難になるため、成年後見等の申立がされることが多くあります。この場合、申立に必要な書類として成年後見の要否に関する医師の診断書が作成されます。
このようなことから、認知症などにより遺言の効力が争われる場合、要介護認定に関する資料(認定調査票、主治医意見書)や診断書(成年後見用)が提出されることが一般的です。本件でも、上記のような資料が証拠として提出され、これに基づいて意思能力の有無が判断されており、意思無能力が争われる典型的な事例と評価できます。
ところで、本件自筆証書遺言は平成21年2月7日に作成されていますが、この遺言作成日のAの意思能力をピンポイントで立証する資料があるわけではありません。これは本件に限らず、どの事案にも共通する問題です。毎日要介護資料や診断書を作成するわけではないので当たり前といえば当たり前です。
そうすると、上記の資料を提出しても、本件自筆証書遺言作成時の意思無能力を直接立証することはできないとの反論がなされる可能性があります。
このような反論に対して、本件では、以下のとおり、本件自筆証書遺言作成の前後のAの意思能力に関する状況を立証し、これにより、本件自筆証書遺言作成当時の意思能力を推認するという判断手法がとられています。
「以上によれば、Aは、アルツハイマー病により、平成19年11月8日及び平成20 年4月8日の時点では、日常的な意思決定が困難な状態となり、本件自筆証書遺言の作成日(平 成21年2月7日)の約8箇月前である平成20年6月3日の時点では、海馬を含む大脳にび まん性の萎縮が認められて、認知機能が少なくとも中等度に低下した状態となり、その後もA の認知機能の低下は進行し、本件自筆証書遺言の作成日の約5箇月後である平成21年7月か ら同年9月の時点では、記憶力、見当識、計算力及び理解・判断力などに重大な障害が生じていると診断されるに至っていること、また、本件自筆証書遺言が作成された平成21年2月7 日から後見開始の審判がされた平成22年1月8日までの間に、Aの心身の状態が急速かつ顕 著に悪化した事実を裏付けるに足りる客観的かつ的確な証拠もないことなどに照らせば、本件 自筆証書遺言が作成された平成21年2月7日当時において、Aは遺言能力を有していなかっ たと認めるのが相当である。」
本件判決は、①「平成20年6月3日時点で認知機能が少なくとも中程度に低下した状態」との事実と併せて、「その後もAの認知機能の低下は進行し」との事実を認定し、また、②本件自筆証書遺言の作成日(平成21年2月7日)以降、成年後見開始の審判がされた時期までの間に「Aの心身の状態が急速かつ顕著に悪化した事実を裏付けるに足りる客観的かつ的確な証拠」がないことをそれぞれ認定しています。
①は、平成20年6月3日以降にAの認知機能が改善していた可能性があると、本件自筆証書遺言作成時に、Aが意思能力を有していた可能性が出てきてしまうこと、②は、本件自筆証書遺言作成後、Aの成年後見開始審判開始前までの間にAの心身の状況が急激に悪化した場合、それ以前の時点(すなわち、本件自筆証書遺言作成時点)では、Aが意思能力を有していた可能性がでてきてしまうという問題があり、本件自筆証書遺言作成前後のAの意思能力に関する状況を認定し、同遺言作成時の意思能力の有無を推認するという判断手法が成り立たなくなってしまいます。そこでこのような問題が生じないよう、上記①及び②の事実を認定したものと思われます。
意思無能力の認定に関する本判決の判断手法は非常にオーソドックスですが、判断過程が丁寧に示されており、実務上参考になります。
エ 本件自筆証書遺言をAが自ら記載したとの事実に対する評価
本件自筆証書遺言に関しては、Aが自ら記載したこと(自書性)は争われておらず、この点が、Aが意思能力を有していたことを裏付ける事実として、以下のとおり、Yから主張されています。
「本件自筆証書遺言は、Aが自書して作成し、その運筆に乱れはなく、漢字と仮名が明確に書き分けられ文書としての体裁も整えられて、丁寧に記載されている。また、Aの署名の下に指印がされ、封筒に封緘されるという丁重な方式も履践されている。」
認知症などにより思考力・判断能力が低下した場合、Aが自ら遺産の内容を想起し、その分配を決定して、その内容を自ら記載するということは非常に難しい作業になります。したがって、このような意味で遺言を自書したということは、それ自体、意思能力があったことを裏付ける有力な事情になると考えられます。運筆に乱れがないことや漢字と仮名が書き分けられていることも同様です。
他方で、第三者が遺言者に対して、遺産の内容、遺言の内容、遺言の記載方法などを誘導するなどの関与をした場合は、自書が意思能力の存在を裏付ける有力な事情とは評価できません。このような場合、遺言作成者は、単に機械的に遺言(文字)を書く能力があれば足りるからです。本判決は、本件自筆証書遺言の作成につき、以下のとおり、Yの関与の可能性を指摘し、その主張を排斥しています。
「本件自筆証書遺言は、被控訴人らがAの自宅を訪れていた際に作成されたものであるから(乙18及び19)、被控訴人らの誘導などにより作成することが可能であったということができる。」
上記の判示は、自筆証書遺言については、自書性が争えない事案であっても、その作成経緯や作成当時の状況を検討することの重要性を示すものといえます。
(3)まとめ
実務上、認知症等により判断能力の低下した者に対して、誘導するなどの働きかけをして、自己に有利な遺言を作成させるとの事案は多くみられるところです。本判決は、このような事案での意思無能力の判断枠組を示し、また、関係者の誘導により遺言が自書された場合の評価の視点を提示した点で参考になると思われます。
3.判例紹介
東京高裁平成25年(ネ)第4542号
主文
- 原判決を取り消す。
- 亡Aの東京家庭裁判所立川支部平成23年(家)第2643号遺言書検認申立事件で検認を受けた自筆証書遺言は、無効であることを確認する。
- 訴訟費用は第1、2審とも被控訴人らの負担とする。
事実及び理由
第1 控訴の趣旨
主文同旨
第2 事案の概要
1 本件は、亡A(以下「A」という。)の相続人である控訴人らが、東京家庭裁判所立川支部平成23年・第2643号遺言書検認申立事件で検認を受けたAの平成21年2月7日付けの自筆証書遺言(以下「本件自筆証書遺言」という。)について、Aは本件自筆証書遺言を作成した当時、遺言能力を有していなかったと主張して、同じく相続人である被控訴人らに対し、本件自筆証書遺言が無効であることの確認を求めた事案である。
原審は、控訴人らの請求を棄却したので、控訴人らがこれを不服として本件控訴を提起した。
2 前提となる事実、争点及び当事者の主張は、後記3及び4のとおり当事者双方の主張を付加するほかは、原判決の「事実及び理由」中「第2 事案の概要」の1及び2に記載のとおりであるから(ただし、原判決4頁3行目及び21行目の各「平成21年9月ころ」をいずれも「平成21年7月29日」に改める。)、これを引用する。
3 控訴人らの主張
次の諸点に照らせば、Aは、認知症を平成19年春頃に発症し、本件自筆証書遺言の作成日である平成21年2月7日の時点において、遺言能力を欠いていたといえる。
平成19年春頃の状況
Aについては、平成19年春頃から、「ほんの5分前のことを忘れる。」、「亡夫に会ったような話をする。」、「控訴人X1宅へ夜中に何度も『物がなくなった。あなたが盗んだんでしょ。』といった電話をかけてくる。」、「食事を自分で用意して食べることができない。」、「四季が分からず冬のような寒さであるのに夏物を着て外を出歩く。」などの問題行動が見られるようになった。控訴人X1は、Aの認知症を疑い、施設の利用を含めた介護サービスの検討を始め、要介護認定のための武蔵野市の調査を受けることにした(甲24)。
要介護認定について
Aは、平成20年1月23日及び同年4月25日にそれぞれ武蔵野市長から要介護4(重度の介護を必要とする状態。身だしなみなどの身の回りのこと、排泄なども自力ではできない。認知症などの症状で問題行動や理解能力の低下のため意思疎通できない場合もある。)の認定を受けた(甲8、9)。
武蔵野市によるAの要介護認定のための調査結果について
ア 武蔵野市によるAの要介護認定のための平成19年11月8日の基本調査(甲10の2)では、「記憶・理解」について、「毎日の日課を理解することができない。」、「面接調査の直前に何をしていたか思い出すことができない。」、「今の季節を理解することができない。」などの状況にあり、「問題行動」として、「物を盗られたなどと被害的になることがある。」、「作話をし周囲に言いふらすことがある。」、「外出すると病院、施設、家などに1人で戻れなくなることがある。」、「火の始末や火元の管理ができないことがある。」、「ひどい物忘れがある。」などのことが、「特記事項」として「家族がお金を盗った、財産を狙っていると頻回に訴える。」、「食べても忘れ、時間もわからない。」ことがそれぞれ指摘され、日常の意思決定についても「日常的に困難」とされている。
イ 平成20年4月8日の基本調査(甲10の3)では、「記憶・理解」について平成19年11月8日の基本調査と同様であり、「問題行動」について、「1人で外に出たがり目が離せないことがある。」との指摘が加わり、「娘が盗った。財産を狙っていると頻回に訴える。」、「質問とはまったく違う話をする。」などの日常生活上の問題行動が特記事項として挙げられている。
要介護認定のための主治医の意見について
Aの要介護認定のための主治医の意見書(甲10の5~7)は、平成20年1月8日付け、同年4月14日付け及び平成22年4月29日付けでそれぞれ作成されているが、平成20年1月8日付けと同年4月14日付けの意見書を比較すると、認知症の中核症状のうち「短期記憶」については、「問題なし」が「問題あり」になり、日常の意思決定を行うための認知能力は「いくらか困難」から「見守りが必要」になり、「自分の意思能力の伝達能力」は「伝えられる」から「いくらか困難」へと悪化している。
Bの記録ノートについて
控訴人X1は、平成20年1月23日、Aの要介護4の認定結果を受けて、ヘルパーの訪問介護を依頼し、B(以下「B」という。)がAの介護をしたが、Bのノート(甲23)にはAの状況に関し次のような記載がある。
ア 平日と日曜日の区別がつかないなど曜日の感覚がない(同年5月5日、同月18日、同月25日など)。
イ 残った食べ物をトイレに流して汚れた食器をトイレに放置する(同年5月4日、同年9月14日、同年10月5日)。
ウ 自宅マンションを「私のマンションと違う。」と言い、その直後にその発言自体を忘れた(平成21年1月18日)。
被控訴人らによるAの成年後見開始の審判申立てについて
被控訴人らは、平成21年7月29日、東京家庭裁判所にAの成年後見開始の審判申立て(以下「本件審判申立て」という。)をし、平成22年1月8日に、精神上の障害により事理弁識能力を欠く常況にあるもので、後見開始の原因及び必要性があることを理由に、Aに対する後見開始の審判がされた。本件審判申立てに当たって提出されたC病院の医師D(以下「D医師」という。)作成の平成21年7月6日付け診断書(甲38)及び上記審判手続において実施されたD医師による鑑定(同年9月17日に鑑定書〔甲39〕作成)の内容は次のとおりである。
ア 診断書について
- 診断名 アルツハイマー病
- 平成15年より記憶障害あり。平成20年6月3日当院初診、その後も経過が進行性である。
- 判断能力判定についての意見
自己の財産を管理処分することができない。 - 判定の根拠
見当識障害 高度
他人との意思疎通 できないときが多い。
社会的手続や公共施設の利用 できない。
記憶障害 顕著
脳の萎縮又は損傷 萎縮又は損傷が著しい。
改訂長谷川式簡易知能評価スケール30点中15点、ミニメンタルステート30点中14点
イ 鑑定について
- 鑑定主文
アルツハイマー病であり、中等度から高度の認知機能低下を認める。
自己の財産を管理・処分することは極めて困難である。
回復の可能性は極めて低い。 - 現症
平成15年頃より記憶障害、物盗られ妄想が認められた。症状は進行性に増悪し、独居であるが生活の自立が徐々に困難となっていった。
平成20年6月3日当院初診、ミニメンタルステート検査30点中16点、改訂長谷川式簡易知能評価スケール30点中11点と中等度から高度の認知機能低下を認め、頭部CTでは海馬を含むびまん性の大脳萎縮あり、アルツハイマー病と診断した。その後定期的に外来にて状態を観察しているが、認知機能低下は進行性に増悪しており、現在は日常生活において重度の記憶障害、認知機能障害を認め、着替えも自立できず、入浴を嫌がる、排泄時にトイレを汚すなどやや高度のアルツハイマー病の状態にある。 - 臨床検査
頭部CT:びまん性の大脳萎縮、海馬領域の萎縮を認める。 - 精神の状態
- 意識・疎通性
意識は清明であり、疎通性も保たれる。 - 記憶力
重度記憶障害を認め、直前の出来事も想起できず、新しい情報を記憶することは極めて困難である。 - 見当識
重度に障害されており、日付け、場所の見当識障害が顕著である。娘宅の間取りが分からずに建物内で迷うこともある。 - 計算力
重度に障害されており、ごく簡単な計算も困難である。 - 理解・判断力
高度に障害されており、日常での意思決定も不十分。買い物や金銭管理などは極めて困難である。身体疾患(糖尿病、高血圧)についても理解が不十分であり、内服管理は困難、食事の管理もできない。 - 知能検査・心理学的検査
平成21年6月25日の認知機能検査では、ミニメンタルステート検査が30点中15点、改訂長谷川式簡易知能評価スケールが30点中14点であった。
4 被控訴人らの主張
次の諸点に照らせば、Aは、本件自筆証書遺言の作成当時、遺言能力を有していたというべきである。
- 本件自筆証書遺言の体裁について
本件自筆証書遺言は、Aが自書して作成し、その運筆に乱れはなく、漢字と仮名が明確に書き分けられ文書としての体裁も整えられて、丁寧に記載されている。また、Aの署名の下に指印がされ、封筒に封緘されるという丁重な方式も履践されている。 - Aが本件自筆証書遺言を作成した動機について
Aは、控訴人X1と被控訴人らの3人の姉妹は平等と考えており、平成17年9月22日、Aの財産を控訴人らと被控訴人らに対し4分1ずつの割合で相続させる旨の遺言書を作成した(平成17年自筆証書遺言)。その後、平成18年7月25日付けで、東京都中野区(以下略)の建物及び借地権を被控訴人Y1に相続させ、金融機関からの借入れの担保となっていない預貯金を控訴人ら及び被控訴人らに均等の割合で相続させるほかは、Aの財産を控訴人らに相続させる旨の遺言公正証書(平成18年公正証書遺言)が作成されたが、これは、控訴人らが、Aの財産を取得するために、弁護士と相談しながら、Aに働き掛けた結果である。Aは、平成18年公正証書遺言を無効にし、被控訴人らにも平等に相続させるために本件自筆証書遺言を作成した。 - 本件自筆証書遺言作成当時のAの状況
Aは、本件自筆証書遺言を作成した平成21年2月頃、毎週のように一人で愛犬を連れて被控訴人Y1宅を訪ねたり、同年4月4日には八王子鶯啼庵で桜花の会食をし、その際、杖も使わずに自分の意思で庭園の山に登って散策したりした。 - 本件審判申立て以後のAの状況
Aは、平成23年12月13日に死亡するまで、付添婦も付けずに自宅において独居生活を送っていた。控訴人X1は、平成21年10月10日付けの成年後見開始審判事件における回答書に、Aの状況について、「時折、ほんのたまに、判断能力に問題が出る(年齢的なものか)。しかし、日常の生活、財産管理の意思に大概は支障ないが、この時折、たまにをとらえて後見というのであればそれもやむを得ない(本人の意思は断固反対であるが)とも考える。」と記載している。
第3 当裁判所の判断
1 当裁判所は、控訴人らの被控訴人らに対する請求は理由があるものと判断する。その理由は次のとおりである。
2 Aの遺言能力について
- 甲8、9、10の2・3、23、38、39及び乙24によれば、Aは、平成20年1月23日及び同年4月25日にそれぞれ武蔵野市長から要介護4の認定を受けたこと、Aの平成19年11月18日及び平成20年4月8日の状態は、前記第2の3・のア及びイのとおりであること、Aに関し、平成20年5月4日から平成21年1月18日にかけて、前記第2の3・のア~ウに記載の事実があったこと、D医師は、Aに関し、前記第2の3・のア及びイのとおりの診断及び鑑定をしたこと、東京家庭裁判所立川支部は、平成22年1月8日、精神上の障害により事理弁識能力を欠く常況にあるもので後見開始の原因及び必要性があることを理由に、Aに対する後見開始の審判をしたことが認められる。
- 上記・の事実及び掲記の証拠によれば、次の事実が認められる。
ア Aは、遅くとも平成19年春頃からアルツハイマー病に罹患し、その症状は時の経過とともに悪化した。
イ Aは、平成19年11月8日及び平成20年4月8日の時点では、・ 現在の季節や時刻を理解することができず、・ 直前に起きたことも記憶できず、・ 家族によって自己の財産が狙われていると訴えるなどの妄想があり、・ 日常的な意思決定が困難な状態であった。
ウ Aは、平成20年6月3日からC病院に通院した。D医師は、Aに対する頭部CTや知能検査を同日に実施したところ、海馬を含む大脳にびまん性の萎縮が認められ、改訂長谷川式簡易知能評価スケールの結果は30点中11点、ミニメンタルステート検査の結果は30点中16点であった(甲40及び41によれば、改訂長谷川式簡易知能評価スケールにおいて、中等度認知症の患者の平均点が15.4点、やや高度認知症の患者の平均点が10.7点であり、ミニメンタルステート検査において、20点未満が中等度の知能低下と診断されることが認められる。)。D医師は、Aに中等度から高度の認知機能の低下を認めた。
エ D医師は、その後、Aの状態を定期的に観察したが、Aの認知機能の低下は進行した。
オ D医師は、平成21年7月6日、Aを診断し、見当識障害が高度であること、他人との意思疎通ができないときが多いこと、社会的手続や公共施設の利用はできないこと、記憶障害は顕著であること、脳の萎縮又は損傷が著しいこと、改訂長谷川式簡易知能評価スケールの結果は30点中15点、ミニメンタルステート検査の結果は30点中14点であることなどを根拠に、自己の財産を管理・処分することができないと診断した。
カ D医師は、平成21年9月17日作成の鑑定書において、Aに関し、意識は清明で疎通性は保たれるとしながらも、・ 記憶力については、重度障害を認め、直前の出来事も想起できないこと、・ 見当識は重度に障害されており、日付・場所の見当識障害が顕著であること、・ 計算力は重度に障害されており、ごく簡単な計算も困難であること、・ 理解・判断力は高度に障害されており、日常の意思決定も不十分であり、買い物や金銭管理は極めて困難であることなど、生活の状況及び心身の状態についての判定をした。 - 以上によれば、Aは、アルツハイマー病により、平成19年11月8日及び平成20年4月8日の時点では、日常的な意思決定が困難な状態となり、本件自筆証書遺言の作成日(平成21年2月7日)の約8箇月前である平成20年6月3日の時点では、海馬を含む大脳にびまん性の萎縮が認められて、認知機能が少なくとも中等度に低下した状態となり、その後もAの認知機能の低下は進行し、本件自筆証書遺言の作成日の約5箇月後である平成21年7月から同年9月の時点では、記憶力、見当識、計算力及び理解・判断力などに重大な障害が生じていると診断されるに至っていること、また、本件自筆証書遺言が作成された平成21年2月7日から後見開始の審判がされた平成22年1月8日までの間に、Aの心身の状態が急速かつ顕著に悪化した事実を裏付けるに足りる客観的かつ的確な証拠もないことなどに照らせば、本件自筆証書遺言が作成された平成21年2月7日当時において、Aは遺言能力を有していなかったと認めるのが相当である。
3 被控訴人らの主張について
被控訴人らは、前記第2の4の・~・の諸点に照らせば、本件自筆証書遺言の作成当時、Aは遺言能力を有していた旨主張する。
しかし、以下のとおり、被控訴人らの上記主張は、採用することができない。
- 被控訴人らは、本件自筆証書遺言はAが自書して作成し、その運筆に乱れはなく、漢字と仮名が書き分けられている旨主張する(前記第2の4の・)。
しかし、本件自筆証書遺言は、被控訴人らがAの自宅を訪れていた際に作成されたものであるから(乙18及び19)、被控訴人らの誘導などにより作成することが可能であったということができる。また、アルツハイマー病により、書字の機能まで失われることを認めるに足りる証拠はないから、アルツハイマー病によって事理弁識能力を欠く常況にある者が、運筆に乱れのない文書を作成することができないとはいえない。 - 被控訴人らは、控訴人らと被控訴人らに平等に相続させることがAの意思であった旨主張する(前記第2の4・)。
しかし、Aは、平成18年公正証書遺言において、東京都中野区(以下略)の建物及び借地権を被控訴人Y1に相続させ、金融機関からの借入れの担保となっていない預貯金を控訴人ら及び被控訴人らに均等の割合で相続させる以外は、Aの財産を控訴人らに相続させる旨遺言しているほか(甲5)、平成13年9月21日に秘密遺言証書を作成して同様な内容の遺言をしているから(甲37)、控訴人らと被控訴人らに平等に相続させることがAの一貫した意思であったとは認められない。 - 被控訴人らは、Aが、平成21年2月頃、毎週のように一人で愛犬を連れて被控訴人Y1宅を訪ねたり、同年4月4日には八王子鶯啼庵で桜花の会食をし、その際、杖も使わずに自分の意思で庭園の山に登って散策したりした旨主張する(前記第2の3・)。
しかし、Aが、平成21年2月頃、毎週のように一人で愛犬を連れて被控訴人Y1宅を訪ねたことを認めるに足りる証拠はない。また、アルツハイマー病により、運動機能まで失われることを認めるに足りる証拠はないから、アルツハイマー病によって事理弁識能力を欠く常況にある者が、杖を使わずに庭園を散策することができないとはいえない。 - 被控訴人らは、Aが平成23年12月13日に死亡するまで付添婦も付けず自宅において独居生活を送っていたこと、控訴人X1は、平成21年10月10日付けの成年後見開始審判事件における回答書において、Aの状況について、「時折、判断能力に問題が出る。しかし、日常の生活、財産管理の意思に大概は支障ない。」などと述べたことを主張する(前記第2の4・)。
しかし、甲23、24及び35によれば、控訴人X1は、平成20年2月以降の平日に、柏栄の事務所において柏栄の従業員と共にAの面倒を看たこと、ヘルパーのBは、同月以降の土曜日、日曜日及び祝日にAの自宅に行ってAの面倒を看たことが認められることなどからすると、Aがアルツハイマー病により事理弁識能力を欠く常況にあったとしても、付添婦を付けずに自宅で独居生活を送ることができないとはいえない。また、D医師の診断書(前記第2の3・のア)及び鑑定(前記第2の3・のイ)に表れている平成21年6月ないし同年9月頃のAの生活の状況及び心身の状態に照らせば、平成21年10月10日付けの成年後見開始審判事件における回答書の上記記載内容がAの当時の実際の状況を示すものであるということはできない。
4 結論
以上によれば、本件自筆証書遺言が作成された当時、Aに遺言能力はなく、本件自筆証書遺言は無効であるから、控訴人らの被控訴人らに対する請求は理由があるから認容すべきところ、これを棄却した原判決は相当ではない。
よって、控訴人らの本件控訴は理由があるから、原判決を取り消し、本件自筆証書遺言の無効を確認することとして、主文のとおり判決する。
第15民事部