認知症に罹患した状態で作成された遺言公正証書について、原審が遺言者の口授を認め、遺言能力を欠くとは言えないとして遺言が無効との主張を排斥した原判決について、控訴審が遺言能力を否定し、遺言を無効と判断した事例(口授については判断せず)

1.基礎情報

(1)相続関係等

本件の相続関係の特徴的な点は、被相続人は再婚しており、Y1は前婚配偶者との間の子供であり、Y2、X1及びX2は、再婚配偶者との間の子供という点です(もっとも、前婚配偶者と再婚配偶者は兄弟であり、時代背景的にいうと、前婚配偶者が戦死した等の理由で弟と再婚したものと思われますので、現代の再婚とは事情がことなる可能性があります)。

また、原告のXらは既に実家を出ており、遺言作成当時、Y2が被相続人と同居している状況でした。

(2)遺産の内容

詳細は不明ですが概ね次のとおりです。

  • 不動産 自宅土建物を含めて約16物件
    ※これらに山林が2筆含まれています。
  • 預貯金

(3)遺言の内容

ア 不動産
  1. Y1
    Y1の自宅土地建物、その他不動産1物件
  2. Y2
    被相続人の自宅土地建物を含む10物件
  3. Xら
    X1、X2にそれぞれ山林を1物件
イ 預貯金

全預貯金を換価した上で、相続債務、葬儀費用及び遺言執行費用を控除した残額を次にとおり分配する。

  1. Y1、Y2
    各25%を相続させる。
  2. C(Bの妹の子:被相続人からみて姪)
    10%を遺贈する。
  3. Y1の子供3名(Z1~3)、Y2の子供3名
    40%を上記6名に均等割合で遺贈する。
  4. Xら及びその子供には預貯金の分配はない。

2.事実経過

遺言公正証書作成前後の事実経過をまとめると次のとおりです。

平成14年 X2(末っ子)が実家をでて、被相続人はBとの二人暮らしとなる。
平成19年9月17日 B死亡、被相続人は一人暮らしになる。
平成22年5月 夫を亡くしていたY2が実家に戻り、被相続人と二人暮らしとなる。
平成23年3月6日 被相続人、焚火で火傷をする。
平成23年3月7日 被相続人、入院(皮膚科)
平成23年3月30日 被相続人、転院(精神科、内科)
平成23年4月22日 被相続人、公証人・行政書士(Y3)が入院先に出張して、任意後見契約を締結
※Y2=任意後見人
平成23年5月30日 被相続人退院(精神科、内科)
平成23年6月13日 遺言公正証書作成
※証人=Y3
平成23年8月8日 被相続人について後見審判申立される。
平成24年1月17日 後見開始審判
平成24年2月3日 後見開始審判確定

3.争点

  1. 法定の方式にしたがって口授がされたか
  2. 遺言能力を欠くと言えるか

4.判断のポイント

本件では、原審は遺言公正証書の作成につき口授はされており、遺言能力にかけるところもないとして遺言公正証書を有効としましたが、控訴審は、被相続人は遺言能力を欠くとして遺言公正証書を無効としました(遺言能力を欠き遺言公正証書が無効である以上、口授については判断されていません)。

判決をみる限り、控訴審は原審と概ね同じ証拠関係を前提に判断しているようですので、この結論の違いは、既存の事実・証拠の評価の違いにより導かれたということになります。

原審と控訴審で評価が分かれた事実・証拠は以下の点です。

  1. 公証人の証言に対する信用性の評価
  2. 入院中の不穏な言動(せん妄)に対する評価
  3. HDS-R(長谷川テスト)のスコアに対する評価
  4. 成年後見診断書に対する評価
  5. 遺言能力があることを確認したとの公証人の供述に対する評価

原審と控訴審の評価の違いは非常に示唆に富んでおり、参考になります。以下、①~⑤について、原審と控訴審の判断を対比しながら検討します。

(1)①公証人の証言に対する信用性の評価について

本件において、公証人は、遺言公正証書作成時の状況について次のとおり供述しています

「証人T公証人は、平成23年6月13日に、Aと面談した際のやり取りについて、Aが、
<1>同居しており、跡取りのような形になる被控訴人Y2には、実家と畑を含め、多くの財産を残す、
<2>近くに住んでいるY1は、被控訴人Y2と一緒に手助けをしてくれるので、Y1が住んでいる不動産をあげる、<3>控訴人らにはあまり付き合いはないが、山をあげる、<4>金融資産については、Cに1割をあげ、残りは、Y1、被控訴人Y2と両名の子にあげる旨を発言したと証言し、乙5(陳述書)にもこれに概ね沿う記載部分がある。」
※以上は、控訴審判決を引用。

以上の公証人の供述について、原審は、次のとおりの理由で信用性が認められるとして、口授及び遺言能力を裏付ける事実としました。

(2)事実認定に関する補足説明
ア 原告らは、T公証人が、扱った全案件の概要を業務日誌(乙7)に時系列で記録するほか、後に問題となりそうな事案については、案件ごとに作成したメモや相続関係図も保管しておくとしながら、本件遺言に関してはそのメモ等の保管がないことなどを問題とし、本件遺言作成時の状況に関するT公証人の供述(陳述書〔乙5〕の記載を含む。)は信用できない旨主張する。
しかし、T公証人は、本件遺言作成時のAが、任意後見契約公正証書を作成したことを覚えていなかったことや、はきはきと答えていた任意後見契約公正証書の作成時とは異なり、少し時間を置いてぼそぼそという感じで答えていたことなど、業務日誌には記載がなく、かつ原告らに有利ともいえる内容も具体的に供述していること(乙5、7の4、証人T公証人)に加え、被告Y3から年に数回案件の紹介を受けていたこと(証人T公証人)以外にT公証人と被告Y3ら3名の間の利害関係に関する主張立証はなく、そもそもT公証人がAの遺言能力を疑問視しながら本件遺言の作成を強行する理由は見出し難いことからすれば、T公証人の上記供述は信用することができ、前記(1)イ(オ)の認定は左右されない。

原審が公証人供述の信用性を肯定した理由は、①原告に有利な事実も具体的に供述していること(供述態度が誠実である)、②公証人には被相続人の遺言能力に疑問がある場合に遺言作成を強行する動機がないという2点に整理できます。

一般的に供述の信用性は、A 知覚、B 記憶、C 表現、の3段階において正確性を吟味するとされています。遺言公正証書を作成する場合、公証人が遺言者に直接面談して遺言を作成するため、「A 知覚」=遺言者とのやり取りを認識できなかったということは通常考え難く、専ら、「B 記憶」、「C 表現」の正確性を検証する必要があります。

原審は、「C 表現」に関して、事実の有利不利を問わず供述しているという供述態度の誠実さ及び公証人には遺言能力に疑問がある場合に遺言作成を強行する理由がなく、事実に反した供述をする動機がないことから、表現の正確性に問題はないと判断したものと思われます。

他方、原審は「B 記憶」の正確性については、公証人の供述内容が具体的であるという点以外に特段の説明がありません。

次に、控訴審は、上記公証人の供述について、「Aの本件遺言の内容についての具体的な発言を認めるに十分でなく、本件遺言公正証書作成時のAの説明内容については、A自身が遺言の内容を具体的にどのように発言(表現)したのかについては必ずしも明らかでないが、本件遺言の内容について否定的な発言はなかった。」との限度で認定するのが相当である、としました。

控訴審では、公証人が供述した、被相続人による遺言内容の説明の信用性が認められず、公証人の供述では、被相続人が遺言の内容に否定的ではなかったという限度の事実しか認定できないと判断されました。

このように控訴審が判断した理由部分を引用すると次のとおりです。

(2) ところで、乙5(陳述書)によれば、T公証人は、1年間に約300件の遺言公正証書を作成しており、個々の事案については、特に印象に残るもの以外は記憶がなくなるため、できるだけ当該遺言公正証書を作成した当日に業務日誌に記録するようにしているが、本件遺言公正証書については問題事案であるとの認識はなく、そのため、遺言公正証書受付メモ及び相続関係説明図(各書式が乙6の1及び2)をルーティンとして作成したものの、いずれも本件遺言公正証書を作成した後間もなく廃棄したことが認められる。

そして、証人T公証人によれば、本件公正証書遺言作成の場におけるAの前記<1>ないし<4>の発言内容に係る供述及び陳述書の記載は、証人T公証人において、自らが作成した業務日誌の平成23年6月13日の欄の記載(乙7の4)に基づいて記憶を喚起したことによるものであることが認められるが、同欄には、「A来訪」「4人の子に不動産相続Y2、Y1に手厚い」「男子2人はAの財産を狙っており、問題があるが、1筆ずつ相続させる」「金融資産は換価清算の上、Y1とY2に各25%ずつの割合で相続、Cに10%の割合で遺贈、残40%は、Z1外5名に均等の割合で遺贈」「遺言執行者Y3行政書士」としか記載されていないことが認められる。
しかし、証人T公証人によれば、遺言公正証書受付メモには遺言者の発言そのものを生の事実として記載しているのに対し、業務日誌の記載はその概要や抽象的な評価等を記載していることが認められ、実際にも、乙7の4には、「Y2、Y1に手厚い」というだけで、被控訴人Y2及びY1がそれぞれ取得することになる財産が特定されていないし、控訴人らについても、「男子2人はAの財産を狙っており、問題がある」という、被控訴人Y3から事前に得た情報とこれに対する評価が記載されている。
そうすると、本件遺言公正証書を特に問題事案とは認識していなかった証人T公証人の前記証言や陳述を根拠にして、Aの前記<1>ないし<4>の発言内容が実際に存在するものと認めるには十分ではないというべきである。そして、本件遺言公正証書に「証人」として記載されている被控訴人Y3も、本件遺言公正証書作成時の状況については覚えていないと供述している。
(3) 以上によれば、Aの本件遺言の内容についての具体的な発言を認めるに十分でなく、本件遺言公正証書作成時のAの説明内容については、補正後の原判決の第3の1(1)イ(オ)の限度で認定するのが相当である。

控訴審判決では、最初に公証人が年間300件前後の遺言公正証書を作成していることから特に印象に残る事案以外は記憶がなくなること、すなわち、公証人の供述の信用性については記憶の正確性を吟味する必要性があるとの視点が示されています。

この点で、もっぱら表現の正確性を検討した原審と信用性判断の視点が異なります。

そのうえで、公証人が本件遺言公正証書作成当時、特に問題のある事案とは認識していなかったこと=本件遺言公正証書の作成は特に印象に残るような事案ではなかったことが指摘されています。

そうすると、本件遺言公正証書作成当時の被相続人の遺言内容に関する、公証人の具体的な説明内容はどのようにして記憶していたものか、について疑問がわいてきますが、控訴審判決によると、公証人は、業務日誌をみて記憶を喚起した上で、供述をしたと認定されています。

そこで、控訴審では、記憶喚起の根拠となった業務日誌がどのようなものであるのかという観点から公証人の記憶の正確性を更に検討しています。

業務日誌に関して、控訴審判決が指摘したのは、①業務日誌は被相続人の実際の発言等をそのまま記載したものではなく(生の事実を記載したものではない)、公証人が事案を要約して概要を記載したり、事案に対する評価を記載する趣旨の資料であること、②実際、業務日誌には遺言内容に関する記述があるのみであること(被相続人の遺言作成当時の発言内容については記載されていない)という点です。

このような抽象的な業務日誌の記載内容からすると、この内容をみても公証人が遺言作成時の被相続人の遺言内容についての具体的な説明を思い出すことができたというには疑問が残るというというのが控訴審の判断であると考えられます。この際、公証人が本件を問題事案とは認識していなかった=特に印象に残っていないということが併せて指摘されています。ありていに言えば、もともと印象に残らない事案なのに抽象的なことしか書いてない業務日誌みても記憶は喚起できないでしょ、ということでしょうか。

もっとも、被相続人が遺言内容に反対すれば、さすがに公証人の印象に残りますし、業務日誌にもその旨の記載はあるでしょうから、控訴審では、被相続人が遺言内容に反対はしなかったとの限度の事実は認定できると判断したものと考えられます。

このように公証人供述の信用性評価について、原審と控訴審で判断が異なることとなりましたが、公証人の記憶の正確性に対しする問題意識の差が、原審と控訴審の判断を分けることになったものと思われます。

すなわち、原審では、公証人の記憶の正確性について、明確には触れておらず、わずかに「原告らに有利ともいえる内容も具体的に供述していること」との説明がされているにとどまります。かかる原審の説示からすると、原審の判断においては、公証人の記憶の正確性は特段問題視されていなかったことが窺われます。

他方、控訴審では、公証人が年間約300件の遺言公正証書を作成する事実を指摘し、公証人の記憶の正確性に対する問題意識を明確にしています。

そのうえで、控訴審では、本件が公証人の記憶に残るような特徴的な事案ではなかったと認定した上で、前記のとおり、記憶喚起の根拠となった業務日誌の性質・内容を具体的に検討しています。

公証人の職務上の地位からすれば、公証人が意図的に事実に反する供述をすることは、基本的には考えにくく、この点に限定すれば、原審の指摘は正しく、控訴審もこの点を否定する趣旨ではないと考えられます。

もっとも、供述の前提となる記憶の正確性に問題があれば、意図せずして誤った供述をする可能性があるところ、本件の公証人の職務状況(年間約300件の遺言公正証書作成)からすれば、記憶の正確性に問題が生じる可能性が高く、この点を正面から問題とし、業務日誌の具体的な記載内容・業務日誌の性質から、公証人供述の信用性を検討した控訴審の問題意識が正当であったと思われます。

(2)②入院中の不穏な言動(せん妄)に対する評価

本件では、被相続人は本件遺言作成(平成23年6月13日)の約3か月前の同年3月にやけどを負って入院し、この入院時に「徘徊、幻聴・幻覚、異常行動、興奮等がみられ、転院時には医療保護入院とされ」たとの事実があります(原審の認定)。

この事実が被相続人の認知症が重症化していたことによるものか否かについての評価が原審と控訴審で分かれました。

原審は「環境変化や体感抑制によるストレスに加え」、「帰宅願望や家族の不在による不安等を原因とするものと考えられ、いずれも認知症の重症化を示すものとは直ちにはいえない」と判断し、認知症の重症化を裏付けるものではないとしています。その理由部分を引用すると次のとおりです。

K医療センターでの平成23年3月8日夜の言動も、翌朝までには被告Y2との会話により落ち着きを取り戻し、その後、家族が付き添うようになってからは見受けられず、H病院への転院後も、同年4月16日頃まではそのような言動はなかったことからすれば、入院による環境変化や体幹抑制によるストレスに加え、家族の不在による不安等を原因とする一時的なせん妄とみることができ、その場合、必ずしも認知症と関係があるとは限らない(乙18、19)。H病院への転院時に医療保護入院とされたことも、結局は、言動に問題がなく、意思疎通や理解力も良好であるとして、わずか1週間余で任意入院とされているし、同年4月16日頃から再発し、同年5月20日頃以降に程度が悪化した不穏や精神的に不安定な状態も、投薬(ポララミン)の副作用である可能性がある上、同年5月25日に一時帰宅した際には見受けられず、帰院して同月30日の退院が決まってからは生じていないこと(甲53〔3、36、49、50頁〕)からすれば、帰宅願望や家族の不在による不安等を原因とするものとも考えられ、いずれも認知症の重症化を示すものとは直ちにはいえない。

原審の認定は、簡単に言うと、入院や投薬に起因する一時的なせん妄であるから認知症の重症化によるものではないということです。

被相続人にせん妄状態が発現した直接的な原因は、原審が認定したとおり、入院や投薬に起因することは間違いないと思われますが、入院時のせん妄と認知症が無関係(=一時的なせん妄)と判断した点には疑問が拭えません。

被相続人が入院時に発現したせん妄は、認知症の周辺症状の典型であり、入院以前から認知症に罹患していたという事実(例えば平成17年4月27日時点HDS-R9点でアルツハイマー型認知症と診断された)からすれば、入院時の症状は認知症の周辺症状と考えるのが自然です。

また、認知症の周辺症状は、認知症の中核症状(記憶障害、見当識障害、実行機能障害、理解・判断能力の障害等)と生活状況、周囲の人間との関係などが作用して発現します。そうすると、上記の入院により発現したせん妄は、入院前から認知症により中核症状がでていた状態に、入院という環境の変化が作用して発現したとみることができます。

この点で原審の判断は、認知症の周辺症状についての視野が狭くなっているように感じます。

他方、控訴審は、「入院中のAの不穏な言動はせん妄と解され、帰宅願望や家族不在による不安等が影響しているとは考えられるものの、せん妄はアルツハイマー型認知症の周辺症状としての行動・心理症状(BPSD)であり(乙2)、Aのそれがアルツハイマー型認知症と無関係であるとは解されない。」と判断し、当該せん妄は被相続人の認知症が重症化していることを裏付ける事実であると評価しています。

控訴審では、入院中のせん妄が認知症の周辺症状の一つであることから、両者が無関係とはいえないと簡潔に判断しています。これは、被相続人が入院時に認知症を発症しており、認知症の周辺症状と一致する症状が入院時に発現している以上、特段の事情がない限り、両者は関連性を有するとの考えを基礎とするものと思われます。

その上で、原審が指摘する事情をもって、上記関連性を否定する特段の事情とは言えないことから、上記のような判断になったものと思われます。なお、控訴審判決では、上記の判示部分を括弧書きで簡潔に示すにとどまっており、控訴審からみて、入院中のせん妄が認知症と関連性を有するとの認定は細かく論じるまでもないとの意図が窺えます。

せん妄の評価については、原審と控訴審において、入院当時の事情を重視するか、より幅広い視野で事実経過をとらえるかで判断が異なったものと考えらえます。

(3)③HDS-R(長谷川テスト)のスコアに対する評価

本件では、被相続人のHDS-Rの結果が、平成17年4月27日10点、平成23年2月22日10点、同年3月30日7点、同年7月15日9点との事実が認定されているところ、このHDS-Rのスコアに対する評価が原審と控訴審で分かれました。

原審は、次のとおり、被相続人のHDS-Rのスコアは認知症の重症度が高度であることを示しているものの、被相続人の認知症の症状が高度に進行していたということはできないとしました。

(2)ア しかし、確かに、本件遺言時(平成23年6月13日)に近接する時期に実施されたHDS-Rの7点(同年3月)ないし9点(同年7月)という結果は、一般的には認知症の重症度が高度であることを示すものといえるが、同年4月1日のAの頭部CT検査の結果は、側脳室下角に軽度の拡大がみられるものの、他の部位の大脳の容量はよく保たれており、脳溝の拡大も年齢相当であったというのであり、実際、H病院の診療録(甲53)にも、「HDS-R7点と重度認知症に近似しているが融通性良好。その場での理解良好」(128頁)、「HDS-R7点だが状況認知は良い」(126頁)との記載がある。また、Aの場合、平成17年4月に初めて認知症と診断されたときのHDS-Rの結果も9点であり、その内容も、質問1(年齢)、2(年月日、曜日)、6(検査者が言う三つな
いし四つの一桁の数字の逆唱)及び7(質問4で答えた三つの言葉を再度挙げる遅延再生)がほぼ回答できないという点において本件遺言時に近接する時期の結果とも一致しているところ、少なくとも平成17年4月時点のAの認知症の症状が深刻なものであったとは認められない(原告らも、主としてBが亡くなった頃以降のAの能力を問題としている。)。HDS-Rには被検者の意欲や集中力によって結果が左右されるという特徴があること(乙1)にも照らすと、HDS-Rの結果をもって本件遺言当時のAの認知症の症状が高度に進行していたということは困難である。

これに対して、控訴審は、次のとおり、被相続人のHDS-Rのスコアは認知症の症状が重度であることを裏付けるとしました。

なお、AのHDS-Rの結果は、平成17年4月27日が10点、平成23年2月22日が10点、同年3月30日が7点、同年7月15日が9点であって、やや高度な認知症における平均得点(10.7±5.4)の範疇に属するものといえ(甲60、乙1)、このような安定的に低い数値であったことは、Aのアルツハイマー型認知症が重いものであったことと合致する(HDS-Rは被検者の意欲や集中力によって結果が左右されるという特徴があるとされるが、各受検時においてAの意欲や集中力に問題があったことをうかがわせる事情はない。)。

原審と控訴審の判断が分かれたポイントは、脳のCT画像とカルテの記載に対する評価にあります。

原審は、CT画像の所見及びカルテの記載が重度認知症であることと相反するものと評価しています。このように評価するとHDS-Rの評価とCT・カルテの評価が矛盾してしまうことから、HDS-Rは被験者の意欲・集中力により結果が左右されるという特徴を指摘して、両者が矛盾することを回避しています。

しかし、平成17年から平成23年までの間に4回にわたり行われたHDS-Rの結果が10点~7点というスコアで推移しているという客観的な事実の重みは、HDS-Rは被験者の意欲・集中力により結果が左右されるという一般論だけでは否定しがたく、これらの結果に疑義を抱かせるには、検査時に被相続人の意欲・集中力に問題があった状況を具体的に立証する必要があると思われます。

原審が重視したCT画像の所見は、脳の状況を客観的に把握し、認知症の程度を推し量るために有益な資料と言えますが、CT画像により実際の認知症の程度を確定することは困難であり、最終的には医師による診察結果が証拠価値がとしてはより有益と言えます。

また、CTやМR?といった画像診断は、当該画像に現れた状況より、認知症の症状が軽いことはないものの、これ以上の症状が重い可能性を否定するものではありません。

更に、原審が指摘するカルテの記載も、必ずしも被相続人の認知症の重症度が高度であることを否定する趣旨ではなく、むしろ、認知症の重症度が高度であることを前提としつつ、一定程度能力が維持されている部分を指摘しているに過ぎないと読めるものです。

以上の点からすると、原審の認定には疑問が残ります。

控訴審は、以上の趣旨を踏まえて、HDS-Rのスコアが継続的に低いという客観的な事実を重視して、認知症の重症度が高度であると簡潔に認定したものと思われます。

なお、原審では、平成17年のHDS-Rの結果について認知症の重症度が高度であるとの主張がされていないことを前提として、本件遺言当時のHDS-Rの結果とほぼ同様であることから、被相続人の認知症の重症度が高度であったとは認められないとしていますが、平成17年のHDS-Rの結果からいえば、認知症の重症度は高度と評価できるのであり、原審の認定はやや強引と言わざるをえません。

(4)④成年後見診断書に対する評価

成年後見診断書とは、成年後見開始審判の申し立てをする際に添付する診断書です。この診断書には、被後見人の財産管理能力に関する意思の所見が記載されています。

本件では、本件遺言作成日である平成23年6月13日の約2週間前に成年後見診断書が作成され、これによれば被相続人は「自己の財産の管理・処分ができない(後見相当)」との所見が示されていますが、かかる記載に関する評価が原審と控訴審で分かれました。

原審は、後見診断書の記載は、次のとおり、遺言能力を欠くことの裏付けにはならないと判示しました。

エ そして、D医師は、Aのかかりつけの医師であり(甲61)、その意見は尊重すべきではあるものの、平成23年5月29日付け診断書(甲25)は、あくまで成年後見用に作成されたものであり、本人の財産保護の観点からその能力を比較的緩やかな基準で判断する傾向のあることが否定できないし、本件遺言当時の遺言能力を具体的に検討したものではない。

他方、控訴審は、平成23年5月29日付後見診断書で診断された状況(財産管理・処分ができない)が本件遺言作成時も継続していると認定した上で、被相続人は遺言能力を欠くと結論付けました。

そして、Aのかかりつけ医として長年にわたってAを診察してきたD医師は、本件遺言の2週間前である平成23年5月29日付けのD診断書において、Aについて自己の財産を管理・処分することができない(後見相当)ものと診断しているところである。
(2) 本件遺言公正証書が作成された平成23年6月13日のAの状態をみると、Aは、同年4月22日に任意後見契約公正証書を作成したことだけでなく、T公証人と会ったことすら覚えていなかったというのであるから、Aは、同日においても、D診断書で診断されたような状態にあったというべきであり、その財産を管理・処分する能力が極めて低下していたものと認められる。そして、本件遺言の内容は、自己の財産をすべて特定人に相続させるといった単純なものではなく、補正後の原判決の第2の2(7)のとおり、複数の不動産(16筆)及び金融資産(預貯金だけで4つの金融機関に計32口、その他保険や国債等)を4名の子(Y1、被控訴人Y2及び控訴人ら)、Bの妹の子(C)並びに6人の孫(被控訴人Z1ら及び被控訴人Y2の子)に傾斜を付けて分配する(他方、他の2人の孫(控訴人X1の子)には分配しない。)という相当複雑なものであるから、Aにそのような遺言をする能力はなかったものと認めるのが相当である。

原審は成年後見診断書について、「本人の財産保護の観点からその能力を比較的緩やかな基準で判断する傾向のあることが否定できないし、本件遺言当時の遺言能力を具体的に検討したものではない」と成年後見診断書の作成傾向や作成目的を理由として、遺言能力を否定する理由にはならないとしています。

しかし、成年後見診断書が本人保護の観点から比較的緩やかな基準で判断される傾向があるという一般論がそもそも合理的な経験則として存在しうるのかに疑問があります。また、この点について証拠の引用がないことから、本件の成年後見診断書の作成について被相続人の財産管理能力判断を緩やかにおこなったという証拠が存在するわけでもありません。

また、成年後見診断書が遺言能力の有無を具体的に検討したものでないことは原審の指摘のとおりですが、通常、遺言能力の有無の判断を目的として作成された資料が存在する方が稀です。問題は、成年後見診断書の具体的内容が遺言能力の判断に有益か否かであり、その内容を検討すべきであると思われます。

控訴審は、本件遺言作成時点で、被相続人の「財産を管理・処分する能力が極めて低下していたものと認められる」とし、これを根拠として遺言能力を欠くと判断しました。

かかる判断は、成年後見診断書は被相続人の財産の管理・処分能力の有無を判断することを目的としていること、他方で、本件遺言は被相続人の財産処分を目的とするものであり、財産の管理・処分という点で両者は共通の性質を有することから、成年後見診断書は遺言能力の判断に有益であるとの評価が前提になっているものと思われます。

その上で、控訴審は、本件遺言の内容についても具体的に検討し、その財産の内容及び分配方法が複雑であることを加味して被相続人は遺言能力を欠くと結論付けています。

成年後見診断書について、原審と控訴審で評価が分かれましたが、控訴審は成年後見診断書の具体的診断内容と遺言の性質を具体的に検討して結論を導いている点で、優れており、参考になると思われます。

(5)⑤遺言能力があることを確認したとの公証人の供述に対する評価

本件では、公証人は被相続人に対して「証人T公証人が認識したAの目、態度、話しぶり等」から遺言能力に問題ないと判断したと認定されています(なお、原審ではこれに加え、被相続人が遺言の内容及び理由を具体的に語ったと認定されていますが、控訴審ではこのような事実は認定できないとされています)。
控訴審は、次のとおり、このような確認では認知症患者に対する遺言能力を担保するものとしては不十分であると判断しました。

この点について、証人T公証人は、Aの遺言能力に問題はなかった旨供述するが、その根拠とするところは、証人T公証人が認識したAの目、態度、話しぶり等にあり、Aがその場にいる相手に迎合的な言動を取っているにすぎない可能性を排除できるものではない(なお、補正後の原判決の第3の1(1)イ(イ)のとおり控訴人らがAから「遺言執行人の解任」と題する書面に署名押印を得た際もその傾向が見られるところである。)上、証人T公証人は、Aが受検したHDS-Rの結果等を知らなかった(証人T公証人は、HDS-Rが10点前後であれば、遺言公正証書は2対1ぐらいの割合で作成できないことの方が多いとも供述している。)だけでなく、被控訴人Y3から事前に、Aの遺言能力や口述能力に問題はないと告げられており、高齢者の遺言能力には一般的に注意が必要であるということ以上には、Aの遺言能力の有無に対する問題意識そのものを有していなかったのであるから、上記供述をAの遺言能力があるとの根拠とすることはできない。

控訴審が指摘する問題は、①被相続人が公証人の確認に迎合している可能性があること、②公証人が遺言能力の確認をした際、被相続人の遺言能力に問題があるとの認識を有していなかったこと、の2点です。

認知症患者は、自分が認知症を患っていることを周囲の人間に気が付かれないように話を合わせたり、話を理解しているように振るまうという行動をとります(一般的に「取り繕い」と言われます)。控訴審の①の指摘は、このような認知症患者の傾向を踏まえると、公証人の確認方法では、取り繕いの可能性を排除できず、遺言能力があることを担保できないという趣旨と考えられます。

また、認知症に罹患しているか否か及びその症状の程度に応じて、個別具体的に、言能力を確認するために求められる手続・方法が選択される必要があるところ、本件では、公証人は、被相続人が認知症を罹患して遺言能力に問題があるとの認識をしておらず、適切な手続きがとられたと評価できません。

控訴審は、被相続人には遺言能力が認められたとの公証人供述の根拠を検討した上で、いずれも合理性を欠くとして、公証人供述の信用性を否定したものと考えられます。

5、おわりに

本件では、原審と控訴審で公証人供述の信用性、各種医療記録の評価について判断が分かれており、判決の内容をみる限り、原審と控訴審の証拠関係はおおむね共通していると思われることから、証拠に対する評価如何で結論が真逆になる好例とも言えます。

今回取り上げた不穏な言動(せん妄)、HDS-R(長谷川テスト)、成年後見用診断書に対する原審の評価を振り返ってみると、いずれも評価として無理があります。

あくまで私見ですが、これは、原審が最初に口授の具体的態様に関する公証人の供述を採用したため、口授及び遺言能力を認める方向に考えざるを得ず、これに反する証拠を無理に排斥したことによると考えられます。逆に、公証人の供述の信用性を否定することができれば、上記の事情を素直に評価して、遺言能力を欠くとの結論を導きやすかったと思われます。

そうすると、本件において原審と控訴審で結論が変わる分水嶺となったのは、公証人供述の信用性の判断にあったと思われます。この視点からみると、本件は公証人供述の信用性検討の重要性を示唆する事例であるとともに、原審で敗訴した場合でも控訴審の判断を仰ぐ意義を裏付ける事例であるといえます

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